2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

打線において、最も大切なのは中軸である。 ここがしっかりしていなければ、得点力がなくなる。 鶴岡一人監督時代の南海ホークスは、四番に鶴岡一人や野村克也がいた。 野村克也監督時代の南海ホークスの四番も野村克也であった。 選手・野村克也のような長…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

野村克也監督の場合も、一番打者には俊足選手を置く。 南海ホークス時代は、島野育夫や藤原満。 ヤクルトスワローズ時代は、飯田哲也。 阪神タイガース時代は、赤星憲広。 東北楽天ゴールデンイーグルス時代は、聖澤諒…であろうか。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

鶴岡一人監督時代の南海ホークスは、盗塁王を狙えるような俊足選手が塁に出てからの野球が基本であった。 400フィート打線の核弾頭は、韋駄天・広瀬叔功。 広瀬叔功は日本の野球に、特に盗塁・走塁の分野で革命をもたらした天才的な選手だった。 守備範囲は…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

鶴岡一人監督の場合は監督生活が長かったので、その時々において戦力補強・補充を行い、長期に渡って常勝チームの維持を持続した。 鶴岡一人政権初期の『機動力野球』から始まり、プロ野球史に燦然と輝く『南海・100万ドル内野陣』。 そして、不動の四番・野…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

鶴岡一人監督時代の『南海・100万ドル内野陣』は、野村克也監督になってからもその伝統は引き継がれ、好内野手が次々と現れてきた。 桜井輝秀が二塁手として定着したあとも高橋博士を遊撃へコンバートするなど思いきった用兵も一定の成果をみせた。 高橋博士…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

野村克也監督の南海ホークス時代8年間のドラフト1位選手をみると、就任1年目の 佐藤道郎始め投手が多いのであるが、翌昭和46年(入団、昭和45年秋ドラフト)には、 島本講平を獲得した。 島本講平の指名時のポジションは投手であったが、打者としての素質も…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

野村克也監督が南海ホークスの選手兼任監督だった頃、絶対的大エースとまでの投手はいなかったけれど、ローテーション投手にしても、抑えの切り札投手にしても粒揃いで優勝を争えるチームの投手陣として、それなりの充実はあった。 野村克也監督の南海ホーク…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

南海ホークス・鶴岡一人監督時代の『南海・百万ドル内野陣』は、プロ野球史に残る布陣であったが、その伝統は野村克也監督以降のホークス内野陣にも受け継がれている。 野村克也時代の内野陣は、藤原満や桜井輝秀、富田勝なども含めて見事に伝統を受け継ぐ選…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

野村克也監督の現役時代の監督といえば、プロ野球最多勝監督の南海ホークス・鶴岡一人監督である。 鶴岡一人監督の野球も、極めてオーソドックスな野球で『王道を行く野球』という言葉があてはまるものであった。 野村ID野球は、南海ホークスの他球団に先…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

野村克也監督の南海ホークス時代は、江本孟紀山内新一西岡三四郎松原明夫の先発ローテーション四本柱に、抑えの切り札佐藤道郎を中心とした投手陣。 当時まだ投手分業制を確立しているチームは少なく、投手分業制に関しては野村克也監督の南海ホークスは、先…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、監督

プロ野球の監督。 チームを作り、采配を振るう。 戦力を把握し、補強や補充によりチームを強くする。 適宜に作戦を用い、用兵を動かす。 監督の力だけで勝てる場合はそれほど多くないとも考えられるけれど、監督の力なくしては勝てないことも多々あると言え…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、門田博光

昭和30年代から昭和40年代くらいまでのプロ野球選手は、印象的にも記録的にも圧巻と思える凄いスーパー選手がいた。 特にパシフィックリーグでは、個性的な選手が多かった。 打者では、 西鉄ライオンズ・流線型打線の主砲であり、ホームラン時代の幕を開けた…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、門田博光

門田博光の転機は、アキレス腱の怪我による。 野村克也選手兼任監督の下、三塁打者時代から本塁打狙いの打撃を目指していたものであるが、その頃は好打に徹するよう指示もあった。 野村克也選手兼任監督退任後、本塁打狙いがより顕著になって行く。 アキレス…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、門田博光

入団2年目、 レギュラー・三番に定着した門田博光は打率.300、本塁打31本、打点120で打点王に輝く。 門田博光はこの年より、野村克也選手兼任監督が退任するまで7年間、南海ホークス不動の三塁として優勝にも貢献した。 (その間昭和51年までの四番は野村克…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、門田博光

野村克也選手兼任監督1年目の昭和45年。 ドラフト2位で入団した門田博光は、俊足・強肩を買われて主に六番・右翼手として試合に出場するようになった。 この年のクリーンアップは主に三番・三塁 富田勝四番・捕手 野村克也五番・一塁 クラレンス・ジョーン…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス・門田博光

プロ野球史に燦然と輝く黄金時代を築いた南海ホークスからは、幾多の名選手・大選手が生まれた。 南海ホークスとしての後半の大選手に門田博光がいる。 入団は野村克也選手兼任監督の一年目、ドラフト2位での入団であった。 入団当時の門田博光は、俊足・強…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ヤクルトスワローズ・野村克也監督時代に隆盛を誇っていたチームは西武ライオンズである。 かつての西鉄ライオンズが、太平洋クラブ〜クラウンライターと変遷した後、九州福岡から、埼玉へフランチャイズを移し西武ライオンズと変貌した球団が黄金時代を築い…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督自身の現役時代、南海ホークスの場合はどうであろうか。 南海ホークスは、鶴岡一人監督が一代で築き上げた『芸術作品』である。 プロ野球の創成期、鶴岡一人監督は今日のプロ野球チーム作りの基礎となる数々の根幹を先駆けて作り上げた大監督で…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

チームの中心・三番・四番打者を固定できれば、強いチームになれる。 理想的なチームと思われるV9時代の巨人軍は、しっかりした主軸・王貞治、長嶋茂雄が長年に渡ってチームを支えた。 野村克也監督時代の南海ホークスの三・四番は、門田博光と野村克也自…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

やがて遊撃に、藤原満が定着する。 その藤原満は、打順も一番になり長く南海ホークスのリードオフマンとして活躍することになった。 藤原満は近大時代、三番打者として四番・有藤通世とともに近大の関西大学リーグにおける強豪校としての地位を築いた、中心…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

この野村克也監督が南海ホークス時代に指揮を執ることになった時のチームは、前年最下位であった。 23年にも及んだ鶴岡一人長期政権時代の南海ホークスは常勝球団で、球史に残る黄金時代を築いたけれど、鶴岡一人監督が退任したあとチーム力が一気に低下、優…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

昭和48年 南海ホークス・野村克也選手兼任監督就任4年目でリーグ優勝をした時の先発オーダーは、おおむね次のようなものであった。 一番・中堅 島野育夫二番・二塁 桜井輝秀三番・右翼 門田博光四番・捕手 野村克也五番・一塁 クラレンス・ジョーンズ六番・…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

左投手がやや不足気味ではあったけれど、 元祖大リーガー・ 村上雅則 をワンポイントリリーフその他で重用していた。 捕手は勿論、野村克也監督兼任選手である。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ここで、野村克也監督の南海時代のチーム作りをみてみたい。 野村克也監督時代の南海ホークスも、投手陣整備はチーム作りの基本であった。 優勝した昭和48年の投手陣は先発 江本孟紀山内新一西岡三四郎松原明夫の四本柱が中心で、抑えに絶対的リリーフエース…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

それにしても、野村克也監督時代のヤクルトスワローズには魅力的な選手が揃っていた。 あるいは野村克也監督などの意向もあって、魅力的な選手を揃えた時代でもあった。 特に中心となったのは、野手では古田敦也広沢克己池山隆寛飯田哲也宮本慎也…などであろ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督時代のヤクルトスワローズは、 例えばV9時代の読売ジャイアンツ(巨人)のON砲のような超安定的三・四番打者がいなかったとも言える。 比較対照がON砲になってしまったが、少なくともそれに近い充実した中軸がやや劣ってはいた。 しかし、こ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

捕手・古田敦也にとっては、野村克也監督との出会いが大きかったと思われる。 勿論、あれだけの選手であるから野村克也監督以外の監督であってもそれなりの成績は残せたであろうが、やはりこの時代のヤクルトスワローズを牽引した大きな力は古田敦也でろうと…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

この時代になると、特定の一チームが何年間も日本一を独占することはなくなっている。 すでにドラフト制度が深く浸透して各球団の戦力が均等化されている上、FA制や逆指名・海外の球団へも進出する選手も増え、長期間不動の戦力を維持することも難しくなっ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

この時代は、西武ライオンズの黄金時代の最中であった。 豊富な投手陣に加え、ほぼ不動の野手陣・AK砲を中心とした強力打線。 鉄壁の守備を誇る守備陣。 隙のない走塁、管理の行き届いた緻密な野球。 この時代の野村・ヤクルトもこれを目指し、そして目標…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

最近のプロ野球では、200勝投手が非常に出にくい状況になっている。 野村克也監督就任前のドラフト1位ではあるが、川崎憲次郎投手なども非常に優れた投手であった。 一時期のボールの威力などから見て、伊藤智仁投手なども歴史に残る優れた投手であった。 …