2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

後世に伝え残したい記憶〜西鉄ライオンズ・稲尾和久投手

稲尾和久投手は、マウンドマナーも良く、この面からみても『エースの品格』を備えた投手であった。 どんなピンチで、マウンドが荒れた状態になっても、きれいにならし、次の投手へ渡す。 攻守交代のときには、相手投手へマウンドをならした状態で渡す。 なか…

後世に伝え残したい記憶〜西鉄ライオンズ・稲尾和久投手

無名の高卒ルーキーは21勝を挙げ新人王に輝く。 知将・三原脩の奇策を織り交ぜた斬新・画期的采配と『流線形打線』と呼ばれた強力打線もあり、西鉄ライオンズは、稲尾和久投手入団の年から3年連続日本一に輝くことになる。 昭和31年、 巨人軍を追われる形で…

後世に伝え残したい記憶〜西鉄ライオンズ・稲尾和久投手

西鉄ライオンズへ入団した稲尾和久投手は、最初打撃投手であった。 ほぼ戦力として考えられていないスタートだったが、稲尾投手はこれを利用してコントロールを磨いていった。 打撃投手は、ストライクばかりを投げ続けてはいけない。 ボールを挟むのだが、こ…

後世に伝え残したい記憶〜西鉄ライオンズ・稲尾和久

投手としての稲尾和久は、ボールは速かった。しかし、コントロールがなかった。 入学した高校の野球部は、全国的にはもちろん無名。 稲尾和久も全くの無名選手で、注目を集めることもなかった。 地元の新聞社の一部が、別府緑丘高校の稲尾和久、コントロール…

後世に伝え残したい記憶〜西鉄黄金時代の大エース・稲尾和久

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球『神様仏様稲尾様』西鉄ライオンズ・黄金時代のエース、鉄人・稲尾和久 少し話を変えまして。 連投に次ぐ連投。 西鉄ライオンズ、黄金時代の最大の立役者・『鉄人』『神様仏様稲尾様』稲尾和久 プロ野球は、昭和31年から33…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス最良の日

南海ホークス3連勝で迎えた第4戦は雨で1日順延となったのですが、これもドーム球場のなかった時代の勝敗のアヤと言えるのでしょうか…。 前年(昭和33年)、西鉄対巨人のシリーズも巨人3連勝後雨で1日順延となったあと、西鉄が稲尾和久の連投に次ぐ連投で…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス・杉浦忠

昭和34年プロ野球日本選手権シリーズ、南海ホークス対読売ジャイアンツ(以下巨人) 1・2戦杉浦忠投手の好投もあり、連勝した南海ホークス。 移動日を挟んで第3戦は、巨人の本拠地・後楽園球場で行われました。 連敗で、もう負けられない巨人の先発はエース…

後世に伝え残したい記憶〜球史を飾ったプロ野球人、南海日本一の大功

昭和34年、プロ野球日本シリーズ・南海ホークス対読売ジャイアンツ。 昭和25年に日本プロ野球が2リーグ制になると、 セントラルリーグでは読売ジャイアンツ(以下巨人)、パシフィックリーグでは南海ホークスが、それぞれリーグの王者となることが多くなり、…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス最後の優勝

昭和48年 プロ野球、パ・リーグプレーオフ第5戦・南海ー阪急 南海善戦で迎えた第5戦は、流れから見ても、実力差から見ても阪急ブレーブス絶対優位は動かぬという予想が大方で、興行的には既に大成功の中で阪急の本拠地・西宮球場で行われました。 阪急先発…

後世に伝え残したいプロ野球の記憶・南海最後の優勝

昭和48(1973)年は、南海ホークス最後の優勝の年となりました。 この年からパ・リーグで、人気振興策もあり約10年ほどに渡って実施された前・後期制。 前・後期のそれぞれの優勝チームがプレーオフで対戦。 その年の優勝と日本シリーズ出場チームを決めるとい…

後世に伝え残したいプロ野球人――超弩級の強肩遊撃手・木塚忠助

入団2年目から、4年連続盗塁王。前述のように守備範囲も広く、超強肩。華麗な守備と俊足で、間違いなく球史に残る超一流選手として『バカ肩』 『イダ天』 と称されました。 当時、10年選手ボーナス制度があり、超貧乏球団の南海は主力選手にこれが払えず、…

後世に伝え残したいプロ野球人――超弩級の強肩遊撃手・木塚忠助

【百万ドル内野陣】 昭和初期から中期にかけて良く使われた言葉ですが、 日本プロ野球における百万ドル内野陣は、鶴岡監督時代の前期、【南海ホークス・百万ドル内野陣】がプロ野球史上屈指、あるいは最高と言っても過言ではないかと思われる内野陣です。 一…