2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

鶴岡一人監督はまた、外国人選手獲得にも独自の人脈で選手を獲得、さらに日本で活躍できるような体制も作った。 あるいは、大リーグ屈指の名二塁手、ドン・ブレイザーの入団は、後の野村克也・ID野球に大きく影響を与えるなど、日本プロ野球の発展にも寄与…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

南海ホークス・鶴岡一人監督は、独自の幅広い人脈もあり、 無名の選手をプロ野球を代表する選手にまで育てることが多かった。 しかし野村克也の場合、自らプロ野球の世界に飛び込み、超一流の選手にまでなった。 野村克也の場合、長嶋茂雄や王貞治などと違い…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

職業野球の試合数も増え、内容も充実し始めた頃、 中西太や長嶋茂雄などもなし得なかった三冠王に 野村克也が戦後初めて、輝いた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也は、戦後初の三冠王に輝いた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

南海ホークス・400フィート打線は、大黒柱・野村克也の不動の四番の活躍によるところが大きいが、その野村克也とクリーンアップを組んだ打者では ケント・ハドリが忘れられない選手であろう。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也は、鶴岡一人監督後半の南海ホークス・400フィート打線の大黒柱であり続け、不動の四番として君臨し続けた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也は何の実積もない、無名の選手であった。 しかし、その素質を見出だしたのが、南海ホークス・鶴岡一人監督であった。 後世に残る大打者・大捕手・大選手は、名将との出会いで大きく巣立った。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

いわゆる『ささやき戦術』も野村克也の真骨頂と言っても良い。 これは、選手・野村克也の若き日の体験から生まれたものである。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

投手をリードして、その持ち味を出す点は野村克也の真骨頂でもある。 一種、プロ野球に革命をもたらしたとも言えようか。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

捕手というポジションを考えた場合、野村克也の成績は至極であろう。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

まだプロ野球が職業野球などと言われていた時代を経て、昭和30年前後から特に、後世に大きく影響する選手が続々入団し活躍をみせるようになってきた。 打者では特に 野村克也 長嶋茂雄 そして、王貞治 であろうか。 それに、張本勲も加えようか…。 投手では…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

王貞治の本塁打記録は、凄まじいものがあった。 ともに同時代の強打者で、歴史に名を残す野村克也、長嶋茂雄の存在も霞んでしまうかの如くものがあった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

かつて、プロ野球はまだホームランの少ない時代であった。 大下弘や青田昇のあと、中西太、山内和弘がホームラン打者として時代を作り、野村克也が新時代のホームラン王となった。 しかしその野村克也を凌駕して、王貞治が現れた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

ホームランを含み打撃で野村克也は、次々とプロ野球記録を塗り替えて行った。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也選手の若手時代は後述するけれど、 パシフィックリーグの本塁打王のタイトルを独占し続け、戦後初の三冠王になった。 当時のパシフィックリーグには、山内和弘、中西太などのホームラン打者がいて、 そうそうたる、並みいる強打者を抑えての本塁打タ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

鶴岡一人監督の南海ホークスは当初 『機動力野球』の先駆けであり 球史に残る 南海『100万ドル内野陣』 を形成していたけれど、チーム方針を一新、大転換して 南海『400フィート打線』に切り替えたところへ、長打力のある 野村克也が台頭してきた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

プロ野球は、以前はドラフトなどなく自由競争の時代であった。 スカウトなどと言う職業も存在しなかった。 そんな中で、テスト生として野村克也は鶴岡一人監督率いる南海ホークスへ入団した。 後の大打者・大捕手・大監督となる野村克也も当時は、無名の高校…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也(南海ホークス)と 長嶋茂雄・ 王貞治(ともに、読売ジャイアンツ=巨人)とは、実力は拮抗していながら、人気の面で現役時代、大きく差があった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

南海ホークス・野村克也選手と同時代に、当時のライバル球団・読売ジャイアンツに 長嶋茂雄 王貞治 という選手がいた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也は捕手としての投手リードは一流であったし、さらに打撃は球史に残る大打者でもあった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

南海ホークスは鶴岡一人監督時代、黄金時代を形成する強豪チーム・常勝軍団であった。 機動力野球の先駆けであり、『100万ドル内野陣』、さらにチーム方針を大転換した南海『400フィート打線』 400フィート打線の中心は、野村克也であった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也。 捕手として、(150試合)全試合・全イニング出場という記録もある。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也の捕手としての特筆すべき点は幾多あるけれど、『ささやき戦術』もその大きな特徴であろう。 野村克也、真骨頂とも言える。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野球において捕手というポジションは、とても大切なところと言って良いのだろう。 捕手はグラウンド内の監督といえる。 プロ野球史上、総合力で最高と言える捕手はなんと言っても 野村克也であろう。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

同時にこの 野村克也 広瀬叔功両選手の時代、魅力溢れる、個性的な後世に名を残す選手が沢山いた時代であった。 プロ野球黄金期を作った、選手達である。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

鶴岡一人監督時代の南海ホークスの黄金期。 南海ホークスの黄金時代は、 野村克也と 広瀬叔功 なしには語れない。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

記録に拘らない時代があった。 しかし、記憶と同時に記録も大きな関心を集め選手の評価に繋がる部分も少なくない。 そんな中でも広瀬叔功は、記録に拘ることなくプレーをした選手の代表格であろうとも言える。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

昭和11年にリーグ戦が開始されたプロ野球は、1リーグ時代を経て2リーグ制となり昭和30年代いよいよ白熱の時代を迎えることとなった。 もちろん、それまでにもスター選手は大勢いた。 実力的にも、後世に伝え残したい記憶に刻まれる選手は大勢いた。 しかし…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

南海ホークス・広瀬叔功は、素晴らしい選手であった。 好打に加え、俊足。 広瀬叔功は、脚でプロ野球に革命をもたらした。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

以前書いたように、稲尾和久は素晴らしい投手であり、また牽制も上手かった。 投手と打者の駆け引き、読み合いで最も高水準を感じさせたのは、稲尾和久投手と野村克也選手のそれが高度なものであったけれど、投手と走者の高水準な駆け引きは、投手・稲尾和久…