2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督就任4年目、ドラフト1位伊藤智仁が入団。 伊藤智仁はこの年、読売ジャイアンツのドラフト1位・松井秀喜を抑え、新人王に輝いた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督就任3年目。 石井一久が入団して来た。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

翌、野村克也監督2年目には、西村龍次が開幕投手を務めることとなった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也新監督初年度の開幕投手は。内藤尚行であった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

投手では、リリーフエースの高津臣吾が名球会入りを果たした。 野村克也監督時代のヤクルトスワローズがセントラルリーグで優勝争いの主役になる頃は、パシフィックリーグ・西武ライオンズの黄金時代であったが、平成4年・5年と連続して日本シリーズで対戦…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

打撃ではホームラン打者タイプの池山隆寛は、遊撃手としての守備も上手かったがやがて後に入団した守備の名手・宮本慎也の台頭により、三塁手へコンバートされる。 高校〜大学〜社会人を経てプロに入団して2000本安打まで到達したのは古田敦也が初めてである…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

池山隆寛は元々、打って・守っての好選手であった。 遊撃手ながら長打力があり、生涯本塁打数は思ったほど伸びなかったが、『ブンブン丸』の愛称を持つ魅力溢れる選手であった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

プロ野球に限らず、野球は投手力を中心とした鉄壁の守備力の強化が常勝チームの条件であろう。 鶴岡一人監督時代の球史に残る 『南海・百万ドル内野陣』に加えた守備陣。 遊撃・吉田義男を中心とした阪神タイガース内野陣。 V9時代の巨人。 黄金時代の阪急…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也がヤクルトスワローズ監督に就任した頃のチームは、前年まで永らくBクラスが続き優勝には遠い状況であった。 しかし、将来性のある若手は何人かいた。 特に弱かったのは投手陣で、野村監督はまず投手陣再編に取り組んだ。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

投手陣では、中本茂樹、山田勉のローテーションの谷間を埋める、嬉しい嬉しい好投。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

橋上秀樹、真中満、笘篠賢治などの野手陣もそれぞれ持ち味を発揮した。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

また、やはり野手では宮本慎也や土橋勝征なども主力の一画を占めた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

この時代、稲葉篤紀など多くの選手もまた活躍した。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

監督としての野村克也と長嶋茂雄・王貞治をくらべると、 野村克也は、弱小戦力のチームを次第に強豪チームへ作り変えるのが性に合っているタイプであろう。 対して、長嶋茂雄も育成などにも情熱を燃やすが、どちらかと言えば巨大戦力を擁して勝利を勝ち取る…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督は、現役時代のほぼ大半をパシフィックリーグの南海ホークスで過ごした。 同時代、セントラルリーグ・読売ジャイアンツに長嶋茂雄・王貞治というスター選手がいて、実力・実績面ではひけをとらないものの人気・知名度の面で大きく水を開けられて…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

チームが優勝に絡んでいる時期に来日したとは言うものの、 ジャック・ハウエルは歴代スワローズ外国人選手の中でも優秀な成績を残した、選手てあった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督3年目の平成4年、 新外国人として入団したジャック・ハウエルは首位打者と本塁打王を獲得。 飯田哲也が盗塁王になった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督時代のヤクルトスワローズで、伊藤智仁投手が新人王を獲得したのは、同期入団の巨人・松井秀喜選手を抑えてのものであった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

平成6年は優勝を逃した上、オフに四番・広沢克己、五番・ジャック・ハウエルが退団・ライバルチームへ移籍する事態になるも、 トーマス・オマリー、ヘンスリー・ミューレンを『補充』して翌平成7年にリーグ優勝、日本一も奪還した。 そのトーマス・オマリ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

平成5年 野村克也監督の下、優勝メンバーは一番・中堅、飯田哲也から始まり、 三番・捕手、古田敦也 四番・一塁、広沢克己 五番・三塁、ジャック・ハウエル 下位の中心に遊撃・池山隆寛 を配すなど強力打線で、先発投手陣も粒揃い、 ストッパーに高津臣吾が…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

当初、先発投手として勝ち星も挙げていた高津臣吾であるが、ストッパーに転向して野村ヤクルトの常勝時代を支えた。 平成5年プロ野球日本選手権シリーズ、ヤクルトスワローズが当時の王者・西武ライオンズを破り日本一に輝いた時、マウンドには、この年から…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

投手陣では、 絶対的大エースと呼べる投手こそいなかったけれど、先発投手の粒は揃っていて、多彩かつ野村克也監督2年目以降は、量的には、優勝争いするチームらしくローテーションが大きく崩れることが少なかった。 ストッパーに高津臣吾が定着したのは、…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督時代のヤクルトスワローズ9年間で、レギュラーであり続けた野手は池山隆寛 古田敦也 飯田哲也の3人であろう。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ヤクルトスワローズ・野村克也監督時代の野球を 『ID野球』 と言うが、捕手の古田敦也は 『ID野球の司令塔』 中堅手の飯田哲也を 『ID野球の申し子』 と言う。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

常勝チームには、しっかりとした投手陣を中心に堅固な守備が必要不可欠である。 わけても、捕手の役割は非常に重要なものとなってくる。 かつて、現役時代の南海ホークス・野村克也捕手は捕手として、あるいは強打の四番打者としてチームを牽引した。 野村ヤ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督時代のヤクルトスワローズを支えた選手は数多くいるが、古田敦也は中でも欠くべからず存在だったのではないだろうか。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

平成4、5年にリーグ連覇を達成、5年にはついに当時黄金時代を誇っていた西武ライオンズを破り日本一に。 西武に変わり球界をリードするかと思われながら、翌平成6年には4位とリーグ優勝もAクラスも逃し、巨人に優勝をされてしまった。 その上このオフ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督時代のヤクルトスワローズの成績は次の通り。 平成2年 5位 平成3年 3位 平成4年 優勝 平成5年 優勝 平成6年 4位 平成7年 優勝 平成8年 4位 平成9年 優勝 平成10年 4位 このうち、平成5、7、9年には日本一の栄冠に輝いている。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

翌平成5年、野村克也監督率いるヤクルトスワローズは、ついにリーグ2連覇、そして日本一を勝ち取ることとなった。 野村監督就任4年目であり、野村ヤクルトの最も充実していた時期である、と言って良いのではないか。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ヤクルトスワローズは、プロ野球2リーグ制当初 国鉄スワローズとして、セントラルリーグに加盟していた。 通算400勝の大投手・金田正一を擁してはいたが、優勝には無縁のチームであった。 その後 サンケイアトムズなどを経て、 ヤクルトスワローズとなった…