2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

絶対的大エースがいないような書き方になってしまっているが、個々の各投手達のレベルは高かった。 高卒ドラフト1位の石井一久などは、米大リーグへの移籍もあったとは言え、200勝くらい達成しても良かったような気もするのだが、野村克也監督時代に入団し…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

古田敦也捕手の投手リードも良かったのだろうが、この野村克也監督時代のヤクルトスワローズ投手陣は試合を壊すほど大崩れしたことが、かなり少なかった。 平成の時代にもなればすでに、昭和20〜30年代のような投高打低の時代ではない。 ごく一部の特定の大…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

前述の訂正。 宮本洋二郎→宮本賢治 アンダースローの宮本賢治は横浜大洋ホエールズに滅法強く、大洋キラーと言われたことは書いたが、宮本賢治が大洋戦に先発、終盤まで好投して、ややピンチで左打者(高木豐…など)を迎えた時ワンポイントで宮本賢治を一塁(ま…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

この野村克也監督時代のヤクルトスワローズ投手陣、大エースと呼べる傑出した投手こそいなかったけれど、先発ローテーションの柱として活躍した投手は幾人もいた。 内藤尚行は、野村体制1年目の開幕投手で、この年はエースとして投手陣の中心となった。 野…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ヤクルトスワローズ野村克也監督時代後半に入団した稲葉篤紀は、この時期の中心的選手となった。 既述のように、稲葉篤紀も野村克也監督時代に入団した選手で後に2000本安打を達成した選手の中の一人であるが、攻守交代時にベンチから守備位置へ、守備位置か…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

外野手の中心的存在は、飯田哲也であろう。 この選手は野村克也監督就任時には、捕手として登録されていた。 やや非力ではあったが、強肩・俊足などその素質の高さに目をつけた野村監督がコンバートを指示して、後の名中堅手が生まれることとなった。 打撃面…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

三塁手。 池山隆寛が後半、遊撃手から三塁へ転向したわけであるが、 ジャック・ハウエルの働きが大きかった。 野村克也監督時代の外国人選手の中でも、一・二を争う活躍であろう。 また、外国人選手ということであれば、一塁手で阪神タイガースから獲得した …

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

二塁手は多様に変遷した。 野村克也監督時代は、最終的に渋い・いぶし銀的な土橋勝征に落ち着いた。 外野や三塁の経験もある土橋勝征でもあり、長距離砲でもなかったけれど、3番・二塁手として働いた。 これも野村克也監督時代ならではの用兵と言えよう。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

この野村克也監督時代のヤクルトスワローズで、不動のレギュラーだった選手は捕手・古田敦也と遊撃手から三塁手へとポジションの替わった池山隆寛、二塁手から中堅手へとコンバートされ、試合出場のかなり多かった飯田哲也くらいであろうか。 遊撃手というこ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督がヤクルトスワローズで指揮を執ったのは僅か9年間であるが、その間FA制度の導入やいろいろな改革が行われ、選手は不動のメンバーと言うわけにはいかなかった。 印象に残る代表的顔ぶれを思いつくまま、書き留めよう。 一塁手。広沢克己。 野…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

池山隆寛は打撃のみならず、守備も上手い選手であったが、野村克也監督時代の後半に宮本慎也が入団してきて遊撃のポジションを譲った。 古田敦也も宮本慎也も守備でレギュラーを獲った選手である

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督の現役時代、鶴岡一人監督の下、不動の四番打者であり球史に残る大捕手・野村克也がいた。 一番を打ち、三番打者にもなれる巧打、好守の中堅手・広瀬叔功がいた。 400フィート打線に欠かせない五番、ケント・ハドリがいた。 100万ドル内野陣は鉄…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

平成9年、対読売ジャイアンツ(巨人)との開幕戦。 小早川毅彦の3打席連続ホームラン。 相手投手は、平成の大エースと言われた・斎藤雅樹。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

読売ジャイアンツ(以下巨人)のV9時と時代が違うが野村克也監督時代のヤクルトスワローズは、かつての金田正一投手のような大投手こそいなかったが、粒揃いの先発投手は充実していて、一時期は『投手王国』の様相を呈していたこともあった。 抑えの高津臣吾…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

V9巨人とは、また違うチームであるがこの野村克也監督時代のヤクルトスワローズは、広沢克己・池山隆寛という長距離砲も揃っていた。 長打力という点では、外国人選手に頼ることも多かった。 野村克也監督時代の後半には、好打者の稲葉篤紀もレギュラーに…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

黄金時代と言えば、V9時代の読売ジャイアンツ(以下巨人)の例がある。 あの頃の巨人の戦力は、長嶋茂雄・王貞治の中軸が万全で前後に適切な働きをする選手が揃っていた。 また打撃だけでなく、守備も隙がなく打つだけで守れない選手というのがいなかった。 …

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

常勝チームに名捕手は必要不可欠であろう。 かつて野村克也監督自身、南海ホークス黄金時代の不動の名捕手であり、球史に残る大捕手だった。 この時期、ヤクルトスワローズも古田敦也を得て、黄金時代を迎えることとなった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

古田敦也は元々、強肩でキャッチングの上手い捕手であった。 それに加え野村克也監督との出会いにより、投手リードの面で格段の進歩をみせた。 また、配給を読むことにも長け、打撃面でプロ入り当初の予想を覆すほどの進歩があり、中軸打者としてチームを牽…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

現役時代は、4番打者でありながら守備の要・捕手として常勝チームを牽引した野村克也監督が優勝争いするため育てた捕手が古田敦也である。 『IDの司令塔』古田敦也は、野村ヤクルトの中心選手としてこの間チームを支えた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

打者では、これもトレードで獲得した大野雄次が右の代打の切り札として活躍した。 他チームであまり活躍していなかった選手が水を得た魚のように活躍することが、この頃の野村克也監督率いるヤクルトスワローズには多々見られた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

福岡ダイエーホークスから交換トレードで移籍、2年連続2桁勝利でローテーション投手の一角として活躍した田畑一也投手もこの時代ヤクルトスワローズ常勝戦力の一翼を担った貴重な存在だった。 野村克也監督のチーム作りにおいてよく 『野村再生工場』と言…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

西村龍次との交換トレードで近鉄バファローズからやって来た 吉井理人もローテーション投手として活躍した。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

投手陣は徐々に充実して行き、投手王国と言える状態になった。 ドラフト1位で獲得した投手――特に野村克也監督前半入団した投手――は相次いでローテーションの中心的役割を果たした。 西村龍次、岡林洋一、石井一久、伊藤智仁、山部太…など。 それに加え既に…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ジャック・ハウエルは来日1年目、首位打者と本塁打王の二冠に輝く活躍をみせた。 この頃のチーム構成は打者に好選手が多く、投手力はまだ非力であった。 1番・飯田哲也の俊足とクリーンアップ3番・古田敦也、4番・広沢克己、5番・ジャック・ハウエルの…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ヤクルトスワローズ、野村克也監督のID野球の原点は、鶴岡一人監督の南海ホークスが(米大リーグを含む)他球団に先駆けて行っていた相手選手の傾向を分析することに始まる。 (この当時、日本にデータなどと言う言葉もなかった) この相手選手の傾向分析を積…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ホームラン打者タイプの池山隆寛は、遊撃手として打って・守っての好選手であった。 本塁打も多かったが、三振も多い選手でもあった。 野村克也監督時代の前半、4番を任されていた広沢克己もやはりスラッガータイプで三振も多かった。 しかし、広沢克己・池…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

平成9年 ドゥエイン・ホージーが3番を打ち、4番に古田敦也を据えるという打線でリーグ優勝・シリーズも制して日本一となった。 野村克也監督の用兵・采配の冴えていた年であった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

打撃陣。 野村克也監督最初の優勝時、平成4年のクリーンアップは、 3番、捕手・古田敦也 4番、一塁・広沢克己 5番、三塁・ジャック・ハウエル 平成7年は、3番、二塁・土橋勝征 4番、一塁・トーマス・オマリー 5番、捕手・古田敦也 ど変わっていった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

守備の要、捕手・古田敦也は『ID野球の司令塔』と言われ、中堅手・飯田哲也は『ID野球の申し子』と呼ばれた。 なかなか固定できなかった二塁手には、野村克也監督時代の後半、土橋勝征が定着。 土橋勝征はいぶし銀の活躍で、一時期3番に定着するなど、貴重…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

投手の伊藤智仁は、通算成績だけを見ればそれほど驚くべき数字ではないが、そのボールの威力は素晴らしく、プロ野球歴代の大投手に並ぶものがあった。 おそらく、野村克也監督時代に入団した投手の中では最高の投手ではないか。 『高速スライダー』なる言葉…