後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ヤクルトスワローズ野村克也監督のID野球の原点は、鶴岡一人監督の南海ホークスが(米大リーグを含む)他球団に先駆けて行っていた相手選手の傾向を分析することに始まる。


(この当時、日本にデータなどと言う言葉もなかった)


この相手選手の傾向分析を積極的に活用したのが、4番・捕手の野村克也選手である。


打者として相手投手の配球を読み、捕手として相手打者の弱点を攻めるよう味方投手をリードどする。


やがて野村選手は南海の監督になり、ヘッドコーチにドン・ブラッシンゲーム(ブレイザー)を招聘。


米大リーグ屈指の名二塁手だったブレイザーは、当時南海の選手が誰も知らなかった大リーグの理論や戦術、知識や経験を伝授。


この当時の南海・シンキングベースボール(考える野球)がやがて、ヤクルトスワローズ・野村ID野球となって行く。