2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

投手陣は、西村龍次、岡林洋一、川崎憲次郎、伊東昭光等に加え終盤には荒木大輔が復活。 荒木大輔の復活により、俄然優勝ムードが高まった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

打線では、ジャック・ハウエルの加入が大きかった。 すっかり、ヤクルトの顔と言うより球界の顔となった古田敦也。 ほぼ不動の四番・広沢克己。 そして、打って守って池山隆寛。 俊足・攻守の飯田哲也。 …などなど。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村ヤクルトの3年目。 この年ドラフト1位入団は、石井一久であった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

1992年 ヤクルトスワローズ、野村克也監督を迎えての3年目、優勝を果たすこととなった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村ヤクルトの2年目は、優勝争いができるまでにチーム力がアップした。 広沢克己、池山隆寛のHIコンビに加え、古田敦也が中心打者に成長。 古田敦也は長距離打者ではないが、数年後四番を任せられるようになるほど、プロ野球の打者としてチーム内で大き…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

打力とひきかえ、投手陣は非力であったため、これを含め守りの整備は急務であった。 川崎憲次郎、伊東昭光、宮本洋二郎、ギャオス内藤等に加え、新人の西村龍次などでまかなうが、かつてのドラフト1位指名入団投手の荒木大輔や高野光等が活躍できないまま、…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督就任1年目のヤクルトスワローズ。 打線は、広沢克己、池山隆寛、秦真司、柳田浩一、荒井幸雄、角富士夫、杉浦亨、八重樫幸雄、笘篠賢治などなど…、らに加え捕手から内野手へコンバートされた飯田哲也、新人の古田敦也など多才で若い可能性のあ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ヤクルトスワローズは、野村克也監督時代の9年間に ドラフト1位で投手8人・野手1人が入団している。 投手の8人は、 西村龍次 岡林洋一 石井一久 伊藤智仁 山部太 北川哲也 … などであるが、 それぞれに活躍、野村ヤクルトを支えた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

この年(平成元年秋=平成2年入団)のドラフトは、昭和43年秋(=昭和44年入団)に次ぐと思われる新人選手豊作のドラフト会議であった。 それについては、後述する機会もあろうかと思うので詳細は省くが、野茂英雄入団の年のことになる。 西村龍次は、ヤクルトス…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

平成元年秋。 プロ野球ドラフト会議。 (入団選手は、平成2年入団ということになる) この年は、新人選手豊作の年となる。 ヤクルトスワローズは、1位指名・西村龍次、2位に古田敦也であった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也監督時代9年間、ドラフト1位指名選手は、投手8人・野手1人。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

常に優勝争いのできる安定した戦いのできるチームを作るには、投手力を含めた守りを固めなければならない。 投手の質の向上はもちろんであるが、守りの要・捕手の育成は急務であった。 野村克也新監督は、守りの要・捕手に新人の古田敦也を抜擢した。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也がヤクルトスワローズ監督に就任した年、ドラフト2位で古田敦也が入団したきた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

元々『野村ID野球』の原点は南海ホークス・鶴岡一人監督時代に相手チームの打者の打球方向を細かく研究・検討して、傾向を分析した戦術にある。 捕手のサインによる投手の投球で野手が予め守備位置採りをするなど、当時日本プロ野球の他チームはもとより、…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村克也がヤクルトスワローズの監督に就任してからのキャッチフレーズとして 『ID野球』 『野村ID野球』 という言葉がよく使われるようになった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

俊足・強肩の捕手がいた。 飯田哲也。 この選手の内野手そして、外野の要・中堅手へのコンバート。 これも野村ヤクルトの安定的強豪球団へと変貌する要因の一つとなったと言える。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

野村監督は就任にあたり、ヤクルトを優勝できるチームにすることを目標とした。 当然のこととはいえ、ヤクルトは当時ファミリー的球団で、それほど勝利に執着しない――その雰囲気をまず変えなければならなかった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

ヤクルトスワローズは、野村克也監督が就任するまで長らくBクラスが指定席のような感じで低迷が続いていた。 ファミリー的球団で、和気藹々とした雰囲気はあったが優勝へ向かっての厳しさに欠けているようなところがあったけれど、そこへ妥協を許さない野村…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代

南海ホークス選手兼任監督から『一兵卒』としてロッテオリオンズ〜西武ライオンズと移籍したあと、プロ野球界から一時期離れていた野村克也・元監督へ、ヤクルトスワローズから監督就任要請があった。 かつての南海ホークスそしてパシフィックリーグ・球界の…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ・古田敦也

平成2年。 かつての南海ホークスの主砲であり、球史に残る大打者・大捕手の野村克也がヤクルトスワローズ監督に就任すると、ドラフト2位で入団してきたのが、捕手・古田敦也である。 続

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、昭和43年・パシフィックリーグ優

昭和43年のプロ野球、パシフィックリーグは、南海・阪急同率首位のまま、両チーム残り1試合をそれぞれ別の球場で戦っていた。 10月11日、南海のこのシーズン最終戦は日生球場で近鉄バファローズとの対戦。 同じ日、阪急の最終戦は西宮球場で東京オリオンズ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、昭和43年・パシフィックリーグ優

昭和43年のプロ野球、パシフィックリーグの優勝争いは、阪急ブレーブスと南海ホークスの壮烈なデッドヒートの末、阪急ブレーブスが最終戦で優勝を決めた。 パ・リーグで最も古い歴史を誇る阪急ブレーブスは、それまで『万年Bクラス』『灰色のチーム』と言わ…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス先発オーダー

昭和51年 2位 監督 野村克也 ?@三 藤原満 ?A中 新井宏昌 ?B右 門田博光 ?C捕 野村克也 ?D指 D・ビュフォード ?E一 片平晋作 ?F左 柏原純一 ?G二 河埜敬幸 ?H遊 定岡智秋 若手・新鋭が多く、近い将来の南海ホークス黄金時代復活・到来を予感させるかのよう…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス先発オーダー

昭和48年 優勝 監督 野村克也 ?@中 島野育夫 ?A二 桜井輝秀 ?B右 門田博光 ?C捕 野村克也 ?D一 C・ジョーンズ ?E左 相羽欣厚 ?F遊 佐野嘉幸 ?G三 藤原満 ?H投 (江本孟紀) 野村南海優勝時のメンバーである。 昭和43年シーズン中、堀込基明を放出して獲得した…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス先発オーダー

昭和45年 2位 監督 野村克也 ?@中 広瀬叔功 ?A左 樋口正蔵 ?B三 富田勝 ?C捕 野村克也 ?D一 C・ジョーンズ ?E右 門田博光 ?F二 古場竹識 ?G遊 小池兼司 ?H投 (西岡三四郎) 野村克也選手が監督兼任となり、1年目のシーズンである。 この年は日替わりで先発…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス先発オーダー

昭和41年 優勝 監督 鶴岡一人 ①中 広瀬叔功 ②右 樋口正蔵 ③二 J・ブルーム ④捕 野村克也 ⑤一 K・ハドリ ⑥左 堀込基明 ⑦三 国貞泰汎 ⑧遊 小池兼司 ⑨投 (渡辺泰輔)

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、1967年オールスターゲーム

第1戦のMVPは、近鉄バファローズの若き主砲・土井正博。 第2戦は、この年より黄金時代に突入することになる阪急ブレーブスの主砲・長池徳二がMVP。 第3戦は、東映フライヤーズで張本勲とともに3・4番コンビを組むこれも若き主砲・大杉勝男がMV…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、1967年のオールスターゲーム

1967年(昭和42年)のプロ野球オールスターゲームは、球史に残る大監督・鶴岡一人監督が最後の指揮を執った球宴である。 この年のパシフィック・リーグは、台頭する若い力の爆発をまざまざと見せつけた破壊力に満ち溢れた陣容のオールスター戦であった。経験豊…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、新井宏昌

野村監督時代にレギュラーを掴み、そのまま南海ホークスの主力選手として活躍した新井宏昌であったが、 野村監督退任後、広瀬淑功〜ドン・ブレイザー〜穴吹義雄〜杉浦忠とめまぐるしく監督が替わった南海は、万年Bクラスのチームへと弱体化してしまう。 か…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、新井宏昌

打線の編成において、強打の二番打者・本塁打の打てる二番打者――という考え方もあるが、しかし二番打者は俊足で小技もできるような選手が望ましいという考え方が主流にも思える。 当時の南海ホークス・野村野球において、メンバーの中では、新井宏昌が最も二…