後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、ヤクルトスワローズ黄金時代への

元々『野村ID野球』の原点は南海ホークス鶴岡一人監督時代に相手チームの打者の打球方向を細かく研究・検討して、傾向を分析した戦術にある。


捕手のサインによる投手の投球で野手が予め守備位置採りをするなど、当時日本プロ野球の他チームはもとより、米国でも行っていなかった傾向を分析し対策を講じる野球が、日本で『データ』などという言葉も使われていない時代に既に鶴岡・南海の初期・前期にあった。


これを最も有効に活用したのが、捕手であり、四番打者であった野村克也である。


やがて南海ホークスに、大リーグの名二塁手、ドン・ブラッシングゲーム(ブレイザー)が入団し、日本プロ野球に大リーグの深い野球理論・知識・経験を注入することになる。


ブレイザーは、野村克也選手兼任監督になると、ヘッドコーチとして監督・野村、ヘッドコーチ・ブレイザーによる『シンキング・ベースボール(考える野球)』をチームに浸透させる大きな役割を担って行く。


これを発展させたものが、野村・ヤクルトのID野球である。


ブレイザーが南海ホークスへ入団した頃、選手・野村克也と食事をしながら野球談義をした。


ブレイザー『君(野村)が打席の時、ヒット・エンド・ランのサインが出たらどうする?』


野村『空振りとフライ・ライナーは駄目。なんとかしてゴロを転がす』


ブレイザー『それだけか?まだあるぞ。エンドランということは、ランナーがいる。すると二塁手か遊撃手どちらかがベースカバーに入るということだ。二塁手がカバーに入ったなら、一・二塁間へ、遊撃手がカバーに入ったなら三遊間へゴロを打てばヒットの確率が高くなる』


現在では当たり前のこのプレーは、当時の日本の野球では行われていなく、野村はすっかりブレイザーの持つ大リーグの理論や知識・経験に惚れ込んだ。


これらの『準備の野球』『確率の野球』は、より洗練され『野村ID野球』となり大輪の花を咲かせることとなって行く。