後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、昭和43年・パシフィックリーグ優

昭和43年のプロ野球パシフィックリーグは、南海・阪急同率首位のまま、両チーム残り1試合をそれぞれ別の球場で戦っていた。


10月11日、南海のこのシーズン最終戦日生球場近鉄バファローズとの対戦。


同じ日、阪急の最終戦西宮球場東京オリオンズとの試合。


ほぼ同じような時間帯でゲームは進み、両チームとも一時やや敗色濃厚とも思えた試合経過で、両チーム同率首位の場合、前例のないプレーオフはどのようになるのか…などと言う声が囁かれ始めていた。


と、その時。


阪急ブレーブス『十年目の新人』と言われた矢野清のサヨナラ本塁打が飛び出す。


矢野清は過去、1軍での出番がほとんどなく、十年目にして彗星の如く現れ突如ブレイクした選手で、西本幸雄監督に長打力を買われて、主砲・長池徳二、D・スペンサー等を押しのけ四番に抜擢されていた。


矢野清の劇的なサヨナラ本塁打で阪急が勝つと、ほどなくして南海の敗戦で阪急・南海ともペナントレースの全日程が終了し、阪急ブレーブスのリーグ2連覇が決定した。


南海は劣勢を挽回できず、1勝差・1ゲーム差で優勝を逃した訳であるが、日程が終了すると23年の長きに渡り南海ホークスの監督を努めていた鶴岡一人監督が勇退することとなった。


鶴岡一人監督勇退の年となった昭和43年の南海ホークスは、皆川睦雄が31勝と抜群の働きをして最多勝防御率1位の投手2冠に輝き、元祖・大リーガーこと村上雅則防御率2位で最高勝率のタイトルを獲得。


この2人により、南海勢で投手三冠を独占した。


阪急はエース・米田哲也が29勝を挙げMVPとなった。


この年の皆川睦雄の31勝以来、日本プロ野球でシーズン30勝を挙げる投手は出ていない。


『最後の30勝投手・皆川睦雄


ひとつの時代の変わり目だったのかも知れない…。