後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、新井宏昌

野村監督時代にレギュラーを掴み、そのまま南海ホークスの主力選手として活躍した新井宏昌であったが、
野村監督退任後、広瀬淑功〜ドン・ブレイザー〜穴吹義雄杉浦忠とめまぐるしく監督が替わった南海は、万年Bクラスのチームへと弱体化してしまう。


かつて栄光の時代を築いた球団は、その面影もなくなってしまったが、プロ野球選手としては小柄な部類に入る新井は地道に安打を積み重ねていった。


かつての常勝・南海の弱体は、親会社が球団経営に意欲を失ってしまったためと思われるが、そんな中新井宏昌は同じ関西球団の近鉄バファローズへ、ほぼ無償とも言えるトレードで移籍することとなった。


しかし、新井はここで大輪の花を咲かせることになる。


南海ホークス時代は遂に経験することのなかったリーグ優勝を経験。


それにも主力選手として貢献した後、2000本安打を達成することとなった。


比較的地味な二番打者を長く勤めながら、名球会入りを果たした新井宏昌


小柄ながら、そのセンスの良さが野村克也監督の目に留まり、地道に安打を重ねた結果の一流打者への仲間入りであった。


大阪・難波球場を本拠地とした南海ホークスはやがて、福岡ダイエーから福岡ソフトバンクホークスと変わってしまうが、新井宏昌には南海ホークスの緑のユニフォームがよく似合う。