後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス最後の優勝

昭和48年
プロ野球パ・リーグプレーオフ第5戦・南海ー阪急


南海善戦で迎えた第5戦は、流れから見ても、実力差から見ても阪急ブレーブス絶対優位は動かぬという予想が大方で、興行的には既に大成功の中で阪急の本拠地・西宮球場で行われました。


阪急先発は、この時点でも12球団を代表するエースとして君臨する・山田久志


対する南海はチーム2番手ながら、この年勝ち頭の20勝を挙げ『野村再生工場』の優等生として活躍した山内新一。


最終優勝決定戦は両先発好投の、一歩も譲らぬ息詰まる投手戦となりました。


球界歴代最高のサブマリン、阪急・山田久志に対し南海は終盤、好投の先発ではあるものの山内新一から絶対的抑えのエース・佐藤道郎にスイッチするというりれーで、そのリリーフエースも好投。


佐藤道郎は、この年からタイトルとなった、パ・リーグの初代セーブ王です。


阪急・南海双方譲らぬまま、0ー0で9回表南海の攻撃もツーアウト・ランナーなし。


しかし、ここで南海はとらえることの難しかった山田久志から、スミス・広瀬叔巧が将に『値千金』の連発弾。


六番や時折クリーンアップも打っていたスミスは、シーズン前半試合無断欠勤もあり、以降レギュラーから外され、この試合も代打として登場。


1打席目凡退のあと、チャンスを与えられる形での9回ツーアウトランナーなしからの起死回生とも言える一発。


続いて、『南海400フィート打線』のかつてのリードオフマン、ベテラン・広瀬叔巧もこの頃レギュラーではなかったにも関わらず実に、この場面で実に貴重な連弾を放ちます。


この追加点が結局決勝点となり『千金の連弾』が結果的に試合を決めたことになりました。


2ー0。


マウンドは『西部(セーブ)の伊達男』の異名もあるリリーフエース・佐藤道郎。


9回裏、阪急の攻撃もツーアウト。


しかし、流石に王者の底力か!


阪急も左の代打の切り札が、一点差に迫るホームラン。


ひしひしと迫り来る王者の圧力。


一点差とは言え強心臓のリリーフエース・佐藤道郎も好投を続けているので、野村克也監督兼捕手のタイムも間をとるだけのものと思われた次の瞬間、世間をアッと言わせる言葉が監督兼捕手の口から発せられました。


『投手・江本』


これはこの当時の常識を覆す、誰もが驚く継投だったのです。


江本孟紀は、第3戦で力投・熱投の完投勝利。


20勝投手の先発・山内新一が好投、チームを支え続けた絶対的抑えのエース・佐藤道郎も一点差とは言え終盤は南海の継投を〆る投手で、江本孟紀投手は試合の流れから、投球練習もしていませんでした。


これは、相手阪急ベンチからも見えていました。


マウンド上での8球の投球練習だけで打者に対したエースは期待に応え、見事ゲームセット。


プレーオフ開幕前から『最後はエース・江本で――』と野村克也監督は決めていたのか。


そこから逆算しつつプレーオフ・ローテーションを組んだのか。


いづれにしても、あまりに画期的かつ見事な継投策。


最も衝撃を受けたのは、名将・西本幸雄監督だったのか…。



かつて『灰色のチーム』『万年Bクラス』と言われた弱小・阪急を

手塩にかけ、常勝チームに育て上げたにも関わらず西本監督は、あっさりと自ら退団してしまいました。


『南海は投手をコマ切れに使ってきた』――


という名言を残して…。


この試合は、野村(監督)ーブレイザー(ヘッドコーチ)体制の8年間で最高の試合と言われ、特に最終戦も含めプレーオフ全体の継投策は後々の参考になる教材として、価値の高いものと思います。


そしてこれが南海最後の優勝となってしまいました。