後世に伝え残したいプロ野球人――超弩級の強肩遊撃手・木塚忠助

入団2年目から、4年連続盗塁王

前述のように守備範囲も広く、超強肩。

華麗な守備と俊足で、間違いなく球史に残る超一流選手として

『バカ肩』
『イダ天』
と称されました。


当時、10年選手ボーナス制度があり、超貧乏球団の南海は主力選手にこれが払えず、木塚選手も選手生活晩年トレードに出されてしまいます。

(この時期、これが理由でトレードされた主力選手は他にもいました)


これは、まだ余力のあるうちに、他球団で活躍して稼いで欲しい、という意味もあったのですが、
近鉄パールズに移籍してからの木塚選手は、その2年後に引退。


くしくも昭和34年、南海ホークスが巨人に無傷の4連勝で日本一に輝いた年でした。



巧打に加え、前後1リーグ時代から2リーグ制初期の盗塁王


華麗で伝説的な強肩は大リーグからも誘いがあり、

あの時代、日本国内で大リーグのプレーを見ているかのように浸った大阪球場に詰めかけたファンも多かった。


入場料を払ってまで見る価値のあった木塚選手の守備・併殺プレー。




あの時代の大阪球場には、南海・百万ドル内野陣の名遊撃手、

木塚選手の大リーグプレーがあった!



レーザービームなどと言う言葉もなかった時代、


木塚忠助選手の超弩級の強肩をどのように表現して良いか…


言葉も見つからない。




遊撃手の守備範囲を超えた遥か彼方から、



【弾丸送球】が砂塵を巻き上げ
ファーストミットへ突き刺さって行く。