後世に伝え残したい記憶〜西鉄ライオンズ・稲尾和久投手

無名の高卒ルーキーは21勝を挙げ新人王に輝く。


知将・三原脩の奇策を織り交ぜた斬新・画期的采配と『流線形打線』と呼ばれた強力打線もあり、西鉄ライオンズは、稲尾和久投手入団の年から3年連続日本一に輝くことになる。


昭和31年、
巨人軍を追われる形で遠く九州・福岡の地に就いて6年目の三原脩は、稲尾和久投手を擁し雪辱の日本一を古巣相手に期すことになった。


ちょうどこの頃、巨人は戦力の新旧交代の時期にさしかかっていた頃とはいえ、西鉄ライオンズは伝説とも言える、日本シリーズ球界の盟主であり王者である巨人軍を寄せ付けず黄金時代へばく進するのである。


昭和32年は、
西鉄『流線形打線』の最も威力を発揮した年と言われるが、
前時代の選手が多くなった巨人に対し、若い力の台頭が著しい西鉄を打倒・巨人、とりわけ巨人監督・水原茂に対して異様なライバル意識に燃える西鉄監督・三原脩の執念でより勢いを加速し、ライバルをくだした感もあった。


西鉄3連覇目のかかった昭和33年の日本シリーズは、
巨人3連勝のあと雨で1日順延後西鉄の奇跡的逆転4連勝となった。


オフには大打者・川上哲治が引退した年であるが、後に『ミスタープロ野球』と称される・長嶋茂雄が入団しシーズン後半には、不動の四番打者に成長してきた年でもある。


ほぼエース・稲尾和久一人で投げ抜いたシリーズとも言えるような連投に次ぐ連投での逆転劇であった。


稲尾和久の打者との駆け引きは超一流だったが、巨人軍の新しい時代を担う新四番打者・長嶋茂雄とシリーズで初対戦した時、長嶋茂雄の狙い球を全く読み取れず稲尾和久曰く
『(長嶋茂雄は)ボーッと打席に立っている』感じしか受けなかったという。


攻略法、相手の読みが見つからない決め球から逆算して、配球を組み立てカウントを追い込んだ。


それでも何を狙っているのか、何を考えているのか全く読み取れなかったところ
『スコーンと打たれた』(稲尾談)


西鉄はあっという間に3連敗してしまった。


雨で1日流れた日、稲尾は長嶋対策を練る。


『(長嶋茂雄は)感性で打つ打者。あらかじめサインを決めてある配球では打ち取れない。打者席(バッターボックス)の微妙な動き、反応、感覚を読み、打者(長嶋茂雄)に投げる直前の直感でコース、コントロールを決めよう』
と考えた稲尾投手は、サインなしで投げる直前の直感でグローブの中でボールの握りを変え、球種・コースを投げ分けた。


捕手とは、どんなボールをどのコースへ投げるか直前の感で決めるので、とにかく捕ってくれと打ち合わせた。


これらが功を奏し、長嶋茂雄を押さえることで稲尾和久ほぼ一人で投げ抜いた感のある西鉄ライオンズは、劇的な逆算勝ちをすることとなった。


投げる直前、相手打者の微妙な動きを読み取りグローブの中でボールの握りを変え、更に相手を打ち取るなどおそらく稲尾和久投手くらいしかできない。


因みに、決め球から逆算して初球からの配球を考える組み立ては、稲尾和久投手が考えたものと言われている。


稲尾和久投手ほど相手打者との配球の読み合い、かけひきのできる投手は他にはあまりいないのではないだろうか。