昭和30年代から昭和40年代くらいまでのプロ野球選手は、印象的にも記録的にも圧巻と思える凄いスーパー選手がいた。
特にパシフィックリーグでは、個性的な選手が多かった。
打者では、
西鉄ライオンズ・流線型打線の主砲であり、ホームラン時代の幕を開けた中西太
大毎オリオンズ・ミサイル打線の主砲であり、打撃の職人・山内和弘
その山内和弘と三・四番コンビを組んだ、安打製造機・榎本喜八
阪急ブレーブス初優勝に貢献した、ダリル・スペンサー
同じく長く阪急の四番として君臨した長池徳二
あばれん坊軍団、東映フライヤーズの張本勲
そして、大杉勝男
近鉄バファローズの若き主砲、18才の四番打者・土井正博
そして鶴岡一人監督率いる南海ホークス・400フィート打線の大黒柱、不動の四番・野村克也。
これらの選手のあと、門田博光が登場するのだが、
この門田博光、通算本塁打歴代3位、通算打点も歴代3位…など
という大打者にまで成長した。