野村克也監督の南海ホークス時代8年間のドラフト1位選手をみると、就任1年目の
佐藤道郎始め投手が多いのであるが、翌昭和46年(入団、昭和45年秋ドラフト)には、
島本講平を獲得した。
島本講平の指名時のポジションは投手であったが、打者としての素質も高く当初は投手・打者、二刀流として試行錯誤したが、最終的には打者に落ち着いた。
島本講平は非常に人気のある選手だっただけに、人気面で低迷するチームに世間は注目したことであろう。
チームを強くすると同時に、観客を集めることもまた監督の大きな仕事の一つであろう。
観衆あっての、ファンあってのプロ野球である。