後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、南海ホークス・ジョー・スタンカ
この年は戦後日本の一大イベント、東京五輪の行われた年であり、全国民の関心も五輪に集まっていたのだが、プロ野球も五輪開会式前に日程を終了するため開幕を例年より早め、熱い戦いが行われた。
パシフィック・リーグは、南海ホークスが早々と優勝を決めたが、セントラル・リーグは大混戦となり、阪神タイガース、大洋ホエールズ、読売ジャイアンツの三つ巴からシリーズ直前、ようやく阪神の優勝が決まったというペナントレースであった。
この年の南海のエースは、来日5年目のジョー・スタンカ。
対する阪神のエースは、村山実を押さえジーン・バッキー、両外国人投手が主軸となったシリーズとして球史に残る選手権となっている。
ジョー・スタンカ、ジーン・バッキーとも日本プロ野球で通算100勝を挙げた投手であり、今日まで来日外国人投手最高の評価を与え得る投手と言えよう。
昭和39年日本選手権シリーズは、ともに関西を本拠地とするチーム同士のシリーズ史上初の対戦となり
御堂筋を挟んでキタ(梅田)に阪神電鉄の梅田駅を構える阪神タイガースと、
ミナミ(難波)に南海電鉄難波駅を擁する南海ホークスの対戦シリーズで
『地下鉄シリーズ』と呼ばれる。
第1戦はこのシリーズ驚異的活躍をした南海、ジョー・スタンカの完封勝利。
南海先勝で幕を開けた。
続