後世に伝え残したい記憶〜大相撲、大関・豊山勝男

大きな期待を寄せられ万雷の拍手の中、初土俵以来所用12場所、新入幕以来所用7場所で大関に昇進した大器・豊山であるが、大関になってからは期待を裏切り続けた。


準優勝も多かった。


13勝や12勝という好成績も含め、場所終盤まで優勝争いに名を連ねたことも多かった。


しかし大器は最後まで優勝することなく、未完の大器のまま現役を退くことになる。


負けない大横綱大鵬と時代が重なったことも影響したと思われるが、やはりこの大器が一度も優勝できず現役を退かなければならなかったことを評する最も適切な言葉は、豊山本人から語られたこの言葉ではないだろうか?


それは、大関豊山勝男引退会見のとき本人の口から出された言葉である。


『未練はあるが、自信がない』


この言葉が、豊山の土俵人生の全てを物語っているように思えてならない。



それまで幾度となくあった優勝の好機をことごとく逃してきた豊山の晩年に、大きなチャンスが訪れた。


昭和43年春場所のことだった。


この場所中に横綱佐田の山が引退、ときの第一人者横綱大鵬は休場、残るもう一人の横綱柏戸も不調という場所であった。


大関豊山は、13日目が終わった段階で12勝1敗と単独トップに立っていた。


今度こそ優勝の最大の絶好機、この時点でこの場所の大本命と誰もが思っていたところ、14日目小結・麒麟児(後の大関大麒麟)に攻め込みながらうっちゃりで敗れる。


豊山は大事な一番になると固くなり、力を発揮できない欠点が度々みられた力士であるが、またもこの大事な相撲を落としてしまう。


千秋楽を前に、大関豊山、小結・麒麟児、平幕・若浪が2敗で並んでしまった。


千秋楽。
この場所横綱大関との対戦のない平幕・若浪は先に相撲を取り、勝って『どうせ優勝決定戦』と気楽に待っている状態であった。


小結・麒麟児も上位との対戦には強いが、大一番には固くなる力士である。


優勝をも狙える千秋楽、やはり意識があったのか敗戦。


やや苦手の感のある麒麟児が敗れ、決定戦になれば有利かとも思える大関豊山の登場となるが、こちらも力を発揮できず下位力士に敗戦。


豊山、14日目・千秋楽と下位力士に痛恨の連敗。


またも、絶好の機会を逃してしまった。



現役時代は、多大な期待を寄せられた大器であるが、その絶大な期待に応えたとは言い難く、やはり未完の大器のまま、現役生活を退くことになったがしかし、親方となったその後は、思いもよらぬ大出世が待っていた。