後世に伝え残したい記憶〜あぶさん
1打席3ホーマー
景浦安武ことあぶさんは、大虎近くのアパートに一人暮らしであった。
隣の部屋には、母と二人で住む小学生のカコちゃんがいる。
小学生のカコちゃんのお母さんは、仕事で帰りが遅い。
学校が終わり家へ帰っても、カコちゃんは一人である。
いつの頃からか、大虎へ出入りするようになったカコちゃんは、テレビを観ながら宿題をするようになった。
勿論お酒は飲まないが。
飲み屋・大虎では、ナイター中継にチャンネルを合わすこともなく、カコちゃんの好きな観たい番組が放送されている。
やがてナイターを終え、あぶさんが大虎へやって来る。
テレビを観ながらあぶさんと話すうち、小学生には遅い時間であるからカコちゃんはそのままテーブルにうつ伏し眠ってしまう。
やがて仕事の終わったカコちゃんのお母さんが迎えに来ると、あぶさんはすっかり眠っているカコちゃんを抱きアパートまで送って行って、また大虎で飲みなおすのだ。
あぶさんもナイター帰りの疲れを大虎で癒すのであるが、なかなかゆっくり飲む訳にもいかなくなってきた。
そんなことが続きある日、あぶさんが眠ったカコちゃんを送ってカコちゃんの部屋を見ると、あることに気づいた。
テレビがない。
ナイターが終わり大虎のあぶさん指定席へ来ると、宿題をやりながらテレビを観疲れた小学生のカコちゃんが既に眠っている。
入団当初、薄給の景浦安武にはテレビを買うお金もない。
あぶさんは、野村監督にカケをもちかけた。
『□月○日までにホームラン3本打ったら10万円ください』
あぶさんは、代打である。
1試合1打席。
試合展開によっては出番のない日もある。
この頃は雨天中止の時代である。
指定日までの試合予定数からみても、かなり無謀なカケだ。
野村監督は理由も聞かず、そのカケに乗った。
『なんや知らんが代打ホームランの出る試合はまぁ、勝ちゲームやろ。チームにとってもプラスになるやも知れん。よっしゃ、乗った。けどあぶ、カケのために無意味な起用はせぇへんで』
『監督、ありがとうございます』
しかしあぶさんは、ホームランを狙うあまり、それまで好調だった打撃もヒットすらでなくなった。
野村(しもうた。カケが裏目にでたか…)
そしてカケ終了日まで、残り1試合。
この当時のあぶさんには、先発出場はない。
1試合せいぜい1打席の代打業のあぶさんは、すでにカケに負けているのだが…。
残り1試合。
あぶさんに代打の出番が来た。
野村(まぁ、カケが終わればホームラン狙いも止め、また元通りヒットも出るようになるやろ。あぶにはいい経験になったはずや)
この打席。
初球、ふっきれたように景浦はレフトスタンドへ文句のないホームランを打った…
かと思われたその時!
なんと投球前に既にタイムがかかっていた…。
よって打ち直し。
夜も遅い。
雨が落ちてきた。
今度もレフトスタンドへ。
飛距離は文句なし。
ポール際。
入った。
ホームラン…
かと思われたその時!
なんと判定はファール…。
南海ベンチ『なんやて。フェアやないか。ホームランや』
しかし判定は覆らず。
雨は先程よりやや強くなったか。
景浦打った。
またもレフトスタンド。
今度こそ文句なし。
ホームラン!!!
ベースを回る景浦に野村監督が声をかける。
野村監督『あぶよ。よう打った。今の3本認めるでぇ』
景浦『じゃあ。カケは勝ちですね』
野村『そうや。なんや知らんが、これでとっとと面倒なこと始末してこい』
野村監督は、ポケットマネーから景浦に10万円を渡す。
カコちゃんのために、テレビを買った。
カコちゃんは喜び、もうテレビを観るために大虎へ行く必要がなくなった。
あぶさんも喜び『これで、ゆっくり飲める』
景浦安武は翌日から、また好調時の打撃に戻り打ち出した。