後世に伝え残したい記憶〜大相撲、豊山広光

豊山広光の脚を高々と上げる四股は、美しかった。


大関の初代貴ノ花や元横綱千代の富士と並ぶ見事な四股であった。


これだけを見ると足腰は悪くなさそうな感を受けるが、相撲ぶりは肩に力が入り過ぎて下半身の粘りを欠くことが多かった。


前述のように、貴ノ花には下半身の粘りの差で、連敗を重ね、ようやく会心の相撲で一つ勝ったと思ったところ、連敗阻止の一番で下位力士・豊山に対し大関貴ノ花がなりふり構わず攻め込んだ対戦で、内容的にも相性的にも以降の流れは完全に貴ノ花ペースになってしまった。


学生時代、ライバルだった輪島には輪島の右腰に食いつく相撲で横綱にとって最大の苦手力士として存在感を示した。


豊山入門時の目標は
『将来、体重を150Kgくらいまで増やし』(長浜時代談)
威力のある立ち合いの当たりからの一気の攻めの相撲を目指したが、体重も思ったほど増えず、勝負どころでの相撲勘や咄嗟の勝負勘にも欠けたきらいもある。


引退は同時期に活躍した力士達と同じ頃であったが、ライバル視していた横綱・輪島とは、初土俵が一場所遅れなら引退も輪島引退の一場所後であった。


豊山の現役時代は、特に伸び盛りの頃の番付運の悪さと、三賞獲得も活躍相応とも言えず少なかった。


しかし、輪島戦に異様な闘志を燃やしたことなどから金星は、対輪島4個を含む計8個と、最高位小結としては、それなりに獲得できた。


さらに親方としては、輪島と対称的に成功の部類に入る活躍を見せるのである。