後世に伝え残したい記憶〜大相撲、豊山広光

学生相撲の名門・東農大時代、後に大相撲で横綱にまで昇進する輪島博(のち輪島大士)とライバルだった長濱広光(長浜広光)が角界に入門、幕下付け出しでデビューしたのは、昭和45年春場所のことであった。


長浜の入門当初は、精悍な顔立ちと豪放磊落のイメージさえあったのだが、
根は繊細でややもすると力みが目立ち、実力を遺憾無く発揮することが出来ないことも多く空回りも感じさせることもまた多いとような印象に
後年、変わってしまった。


伸び盛りの時期に、番付運の悪かったこともこの力士の土俵生活を大きく左右したことは、否めない。


幕下付出しでの初土俵は、5勝2敗と平凡な成績であった。


学生時代のライバル・輪島は一場所早く初土俵を踏み、2場所連続7戦全勝の連続優勝で、いとも簡単に十両昇進を決めたことに比べれば、物足りない感もあるが、後々に続々プロ入りする学生相撲出身者と比較して、十分及第点、遜色のない立派な成績で、将来性を感じさせるに足る発信と言えようか。


その後の幕下2場所を連続全勝優勝を飾り、十両昇進を決めた頃は、大器の素質十分、洋々の未来を期待されたものだった。


所属は時津風部屋


師匠は、元大関豊山


名門部屋を継承したばかりの、若い親方であった。


師匠とは、同郷で出身大学も同じこともあり、早くも将来の豊山襲名を期待されていた頃である。


長浜自身もライバルは輪島と公言すると同時に
『師匠の記録を破りたい』
が口癖であった。


横綱双葉山が興した名門・時津風部屋は、
一時期やや部屋の勢力が低下していた時期もあったが、この長浜入門とその出世に刺激を受けたのか、幕下上位近辺で伸び悩んでいた長浜と同世代の力士達が時を同じくして一気に開花し始めた。

経験豊富な時葉山一人が関取だったところへ
長浜はじめ、波多野改め大潮、山本川改め双津竜、丸山それにベテラン・牧本…
関取の数が増えはじめ、同時に長浜も番付を上げていった。