後世に伝え残したい記憶〜プロ野球、江夏豊

南海時代、野村監督に説得されてリリーフ投手に転向した江夏豊は、やがて広島東洋カープ日本ハムファイターズ西武ライオンズと移籍する。


かつて先発完投投手として、奪三振記録など新記録を樹立したこの投手は、
救援投手としても数々の輝かしい記録とともに伝説をも残して行くことになる。


広島時代には、日本プロ野球史に残る
江夏の21球
と呼ばれる名場面を作り出した。


広島東洋カープの抑えの切り札として、『赤ヘル黄金時代』の中心選手として活躍。


かつて快速球奪三振王として、先発完投を重ねた頃もそうであったが、打者心理を読みながら、コントロールと巧みな配球で相手を打ち取る投球術は、リリーフ転向後更に精度を増していった。


広島から日本ハムファイターズへ移籍した江夏豊は、ここでも抑えとしてチームの優勝に貢献する。


移籍先のチームを次々と優勝に導く立役者となって活躍する江夏には、いつしか
『優勝請負人』
という讚美の言葉が冠せられるようになった。


野球においてリリーフ投手の役割と評価は、以前と比べものにならないくらい変わってきた。


江夏豊が、リリーフ投手の評価を高める活躍を見せたことは、球史に残る『革命』であった。


野村克也選手兼任監督
プロ野球に革命を起こそうやないか』は、球史にまさに
『革命』を起こしたことになった。