後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

1リーグ時代、戦前の優勝は巨人と阪神しか優勝していない。


戦後再開されたプロ野球で、最初に優勝したのが南海である。


選手兼任監督鶴岡一人が四番を打ち、MVPに輝く。


昭和21年から、
南海
阪神
南海
と優勝が続き、巨人は優勝できないでいた。


そこへ、『別所引き抜き事件』が起こる。


南海の大エース・別所毅彦の巨人への移籍は、その後2リーグ制になっても影響を与え続ける。


この頃の野球は、現在に比べ緻密さが少なかったのだろうけれど、名選手は沢山いた。


更に現在に比べ、圧倒的に『投高打低』の時代であった。


シーズンの活躍と、やはり日本シリーズでの活躍も大切であろう。


確かに、どんな大選手でもチームが優勝しなければシリーズに出場できない。


チームの優勝は、一人の選手の責任ではないが、野球という競技が、チームの優勝を目指す目的で行われているのであれば、日本シリーズへの出場は選手の生涯成績や印象にも影響するであろう。


全盛期の
金田正一日本シリーズで登板していたら、どんな投球や成績を残したことであろうか。


2リーグ制後の投手で200勝を挙げながら、日本シリーズに出場できなかったのは過去、平松政次しかいない。


平松政次は、大洋ホエールズの弱小時代のエースで『巨人キラー』のシュートを得意とする名投手であった。