プロ野球、昭和40年代半ばくらいまでの投手起用は、エース級投手が先発・救援にかかわらず連投することが当たり前の時代であった。
しかし徐々に投手分業制の流れになって行き、野村克也監督もその先駆け的監督の一人であった。
江夏豊は阪神タイガース時代、シーズン401奪三振の、現在でも破られていないプロ野球記録を作るなど先発完投投手としてチームを支えてきた。
その江夏豊も次第に長いイニングを投げることができなくなってきた。
そんな頃阪神タイガースと南海ホークスの間で大型トレードが行われ、江夏豊が南海ホークスへやって来た。
実はこれは、プロ野球に画期的改革をもたらす序章となった。