後世に伝え残したい記憶〜大相撲、豊山広光

昭和47年秋場所


小結・豊山として新三役。


ライバル・輪島は、関脇。


生涯において、豊山と輪島の番付が最も接近した場所である。


輪島の初土俵から、1場所遅れで入門した学生時代のライバル・豊山であるが、番付で輪島の上に立つことは遂になかった。


しかし、番付が離れていても、相撲内容・対戦成績ともに輪島を十分苦しめ、豊山の存在感を示したと言えよう。


この場所豊山は、5勝10敗と負け越し、三役の座を明け渡すことになるが、輪島は13勝2敗の好成績により場所後大関に昇進、そのままの勢いで最高位・横綱にまで駆け上り、両者の差は大きく開いてしまうこととなった。


輪島は横綱となり優勝を重ねる一方、豊山は目覚ましい活躍もなく、大関候補という声もかかることなく、幕内中位くらいを往復する場所が続いた。


しかし豊山、昭和49年夏場所、生涯最高とも言える充実した場所を迎えることとなる。