2017-01-01から1年間の記事一覧

後世に伝えたい

月☆訪問入浴 火☆訪問看護 水☆往診 木☆訪問入浴 金☆訪問看護

後世に伝えたい

本当に本当に、何とかならないか! 人としての、自然な感情であろう。

後世に伝えたい

叫び続ける! 無念の気持ちが、とめどなく溢れ続ける!

後世に伝えたい

叫ぶ! 家族に八つ当たりする! それでもまだ医者を頼る… 何とかならないか! 何とか助けられないか!

後世に伝えたい

昼夜逆転! これが現在、大きな問題となっている。

後世に伝えたい

痛みは脚そして、腕。 この間、一度だけ胃が痛いと言い驚かされたけれど、便が詰まっていたとも考えられる。 痛み止めの舌下錠は、今のところ1日ひとつで済んでいる。

後世に伝えたい

そして、特に夜は、『にぃちゃんやにぃちゃんや』と、叫び続けるようになってきた。

後世に伝えたい

それから次第次第に、昼夜逆転の傾向が強くなり、定着してしまったようになっている。

後世に伝えたい

11月14日(火) 三日前(土曜日)、退院した次の日というのに、緊急診察。 この日出された薬を飲んでからか? 夜眠れない、盛んに呼び掛けることが多くなってきた。 病院の処置は、本人の体質に合ったものなのであろうか…?

後世に伝え残したい記憶

09日退院。 10日急遽診察。 11日一日中就寝。食事量も減り、しかし元気。 13日、一日中喚き続けお風呂キャンセル。

後世に伝え残したい記憶

12日、今度は私の体調が悪い。 しかし、頑張らなければ!12日、今度は私の体調が悪い。 しかし、頑張らなければ!

後世に伝え残したい記憶

誰か読んでいるのだろうけれど、反応もないので――。 11月09日退院。 翌10日、またも受診。 11日は、前夜から引き続きよく眠る。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

かつてプロ野球ファンは、巨人ファンとアンチ巨人に大別できた時代があった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

昭和49年、ついに巨人の連覇が途切れた。 以降巨人軍は、第4次黄金時代を築けずにいる。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

長嶋茂雄の現役時代の監督は、 水原茂と川上哲治。 王貞治の現役時代の監督は、 やはり、水原茂・川上哲治それに長嶋茂雄である。 長嶋茂雄・王貞治はそれぞれ、それらの監督から何かを学んだのであろうか…。 野村克也の現役時代のように――。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也監督が最も影響を受けた監督は、やはり鶴岡一人監督であろう。 野村克也野球の原点は、ここにあった。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

このあたりは、長嶋茂雄や王貞治と野村克也の大きな違いであろう。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也が監督時代選手に教えた投手と打者の心理は、プロ野球に大きな影響を与えた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

捕手出身の監督が必ずしも優秀という訳ではないけれど、監督・野村克也には捕手の経験が役立っていたのだろう。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也は、 南海ホークス ヤクルトスワローズ 阪神タイガース 東北楽天ゴールデンイーグルス で監督を務めた。 トレードに関していえば、 南海ホークス時代の 富田勝対 山内新一& 松原明夫(巨人) 高橋博士対 江本孟紀& 佐野嘉幸(東映フライヤーズ) が特…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

監督としての長嶋茂雄や王貞治は、巨大戦力を揃えて、監督の多少の采配の誤りは戦力でカバーする戦い方であろう。 対して野村克也は、弱小チームを一から作り上げ常勝軍団にする過程で真価を発揮する監督であろう。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也 長嶋茂雄 王貞治 は、日本プロ野球の三大プレイヤーで、選手としての活躍は互角であろうけれど 監督としての手腕は、野村克也がはるかに他の二人を上回っている。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

鶴岡一人監督はまた、外国人選手獲得にも独自の人脈で選手を獲得、さらに日本で活躍できるような体制も作った。 あるいは、大リーグ屈指の名二塁手、ドン・ブレイザーの入団は、後の野村克也・ID野球に大きく影響を与えるなど、日本プロ野球の発展にも寄与…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

南海ホークス・鶴岡一人監督は、独自の幅広い人脈もあり、 無名の選手をプロ野球を代表する選手にまで育てることが多かった。 しかし野村克也の場合、自らプロ野球の世界に飛び込み、超一流の選手にまでなった。 野村克也の場合、長嶋茂雄や王貞治などと違い…

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

職業野球の試合数も増え、内容も充実し始めた頃、 中西太や長嶋茂雄などもなし得なかった三冠王に 野村克也が戦後初めて、輝いた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也は、戦後初の三冠王に輝いた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

南海ホークス・400フィート打線は、大黒柱・野村克也の不動の四番の活躍によるところが大きいが、その野村克也とクリーンアップを組んだ打者では ケント・ハドリが忘れられない選手であろう。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也は、鶴岡一人監督後半の南海ホークス・400フィート打線の大黒柱であり続け、不動の四番として君臨し続けた。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

野村克也は何の実積もない、無名の選手であった。 しかし、その素質を見出だしたのが、南海ホークス・鶴岡一人監督であった。 後世に残る大打者・大捕手・大選手は、名将との出会いで大きく巣立った。

後世に伝え残したい記憶〜プロ野球

いわゆる『ささやき戦術』も野村克也の真骨頂と言っても良い。 これは、選手・野村克也の若き日の体験から生まれたものである。